立志と茶道

公開日:2025/02/26(水) 更新日:2025/02/26(水) すべて

東京より単身赴任にてお世話を頂くようになり、1年半となりました。妻とのコミュケーションは毎朝のオンライン茶道から始まります。「人の人生(みち)を照らし輝きを」二人で立てた志を確認しあう大切な時間となります。

人生において、今この瞬間は未来から現れ、その積み重ねが過去とも言えます。そのような繰り返しの中で、時に大きな衝撃を受ける瞬間があります。旅、出会い、災難がきっかけかもしれません。その瞬間の止むに止まれぬ思いから、志を立てることに繋がることがあります。己の損得を超えて、向き合う課題は、一人では解決できそうにない課題や、将来に向けて大きくなることが予想される課題の場合があります。そのような課題解決に向けて、自らがリーダーとなって賛同頂く方々に志を伝え、少しずつ組織化が進みます。やがて、リーダーは、志を経営理念として掲げ、事業としての永続と繁栄を追求する経営者としての覚悟が求められ、起業へと繋がることになります。形態が個人であろうと法人であろうと、また、業種や組織の大小に関わらず、起業後、様々な要因によって影響を受け、経営者はその都度、志を磨き続けることとなります。経営の「経」は真理、「営」は生涯をかけて取り組むこと。

よく、経営者は孤独だと言われます。それは、立志の際の衝撃は、自らしか分からず、その衝撃が過去のこととして薄れていく中で、磨き続けることが求められるからではないでしょうか。そして事業の繁栄に向けて、そして永続の為に、志を判断基準として決断が求められます。欲得に目がくらみ、損を回避することだけを考えて、志とは異なる決断に迷うこともあれば、志と異なる落とし穴が潜んでいることもあります。それらを見極めながら不安と恐怖の中で、決断が求められます。

果たして経営者は、いつどのようにして適切な決断力を身につけることができるのでしょうか?

大切なことは、立志は期せずして閃いた瞬間の出来事であり、その瞬間の閃きを素直に受け入れたからこそ立志に繋がったということです。自然が与えてくださった閃き。人生を賭けて取り組む課題への気づき。志を磨くとは、自然が与えて下さった志だからこそ、自然が適切な方向に導いて下さるということを感じ続けることとも言えるのではないでしょうか。それが生涯をかけた志であり、厳しくも温かい「道」とも言えます。

日本には古来より伝統文化を引き継ぐ様々な「道」と呼ばれる世界があります。歴史と伝統ある「道」には地道なお稽古があり、その繰り返しの学びと体感を通して、心技体、全てが自然と一体であることに気づくことに繋がります。

志を磨く「道」の代表としての「茶道」。うつりゆく季節の中で、寒暖はもとより、風雪、草木や花の香り、滴る水、朝日や月、小鳥のさえずりや虫の声。大自然の営みを感じながら、長年受け継がれてきた所作を丁寧に一つ一つ積み重ねて、一椀のお茶を点てます。五感に感じる感覚を通して、自然と一体となっていることを感じる茶道は、所作を覚えることから始まり、立居振る舞いへと進み、やがて、目を閉じて五感でお茶を点てるに至ります。経営者の立志から起業、永続と繁栄に向けての経営とは、全く異なる世界であっても、偉大な自然と一体となって五感でお茶を点てる世界と相通じるものがあります。

朝日に感謝をしながらお茶を点てる時、心の乱れが、毎日の繰り返しの所作に現れます。心の乱れが現れる前に、お茶のお稽古を通して、気づき、心の乱れを整え、自然と一体であることを感じます。自然が与えて下さる気づきは、自然と一体であることから得ることができ、一体であり続ける為に、何より大切なことは、自然を感じる素直な心です。

そして、己の損得を超えた決断の結果、じっくりと決断の結果を待つ時間が必要な場合があります。苦渋の決断の際には、時に心は乱れ、不安と恐怖に襲われることもあるでしょう。そのような時も、お茶のお稽古を通して、ただひたすら自然と一体であることを感じ続けるのです。自然が時をへて適切な結果へと導いてくださること。また、どんな結果でも、自然が導いてくださった適切な道だと感じることができるようになります。

自然と一体であると感じる「素直」な心。時を待つ「大忍」の心。かかなせない素養は、茶道を通して気づき、育むことができます。やがて、どんな状況においても、まるで、その瞬間一椀のお茶を点てているかのように、静寂に包まれ、温かさの中で、閃きを与えて頂き、勇気を持った決断ができ、そして、朝日と共にお茶を点てて時を待つことができるようになります。例え、人の命は儚いものであっても、自然と一体となって立てた志を、果たすことができる偉大な存在であることを感じ、勇気と希望そして揺るぎない自信が少しずつ芽生えてくると感じております。